Ⅷ・①『日本国』 と 『日本書紀』
替わって登場したのが、
■ 『大和朝廷の生い立ちから倭国滅亡迄の歴史的経緯の想定年表』
本家の「大宰府倭兄王家」の高市天皇が
『旧唐書』には、
『
「日本国」 は倭国の「別種」なり、その国日辺に有るをもって日本国を名とす。或いは曰う。倭国自ら、その名雅ならざるを悪み、改めて日本と為す。或いは言う、日本はもと小国、倭国の地を併せたり、…或いは言う、尊大ぶって事実を伝えない。』 とあります。
が、旧唐書がここで謂う「別種」とは、
私は〔日本国は倭国から別(わか)れた国〕と言ってると考えます。『倭国』の分家の「難波副都倭弟王家」が、飛鳥・葛城の『秦国』王家の蘇我氏を取込み、『倭国』大宰府から王権
「兄弟王朝」だからして、倭国から日本国へ変わった「際立って特殊な何か」はひとつも見受けられないわけだ。
なお、九州に限って、2種類の風土記があり、「県(あがた)風土記」と「郡(こおり)風土記」があることがわかっているが、これは九州王朝「倭国」時代の評・県制施行時(法興王時?)に九州に限って先行して編纂開始されたということであり、大和朝廷「日本国」時代の郡制施行後、その編纂事業が日本全国に更に拡大実施されたことを意味していよう。
『日本書紀』の記述の特に、「継体天皇」「大化改新」「白村江の戦い」「壬申の乱」「天武天皇」「持統天皇」 は手の込んだ改編がなされている模様である。更なる解明が待たれる。
従来よりささやかれているように、『飛鳥時代』の出来事とされる
『大化改新』
そして、法隆寺を舞台にした
『聖徳太子』
等々の話も、元ネタの時代・場所・登場人物をたくみに改変した作り話と言うことになります。
私が 『白村江戦い前、「東西枢軸国」の唐国・新羅・『秦国』の侵略に対抗するため、九州王朝倭国が「難波副都」でその軍事力を背景に、巨大徴税システムである「天下立評(=全国評制施行)」し、
以下が「その順路のあらすじ」である。
※別紙 『 「倭国」の「大宰府主都」 : 「難波副都」対比年表 .html版 』 ・ 『 同 .pdf版 』 と、併せて参照方お願いします。
《歴史的経緯の説明》
①九州王朝「倭国」はある時期(たぶん「倭王武」477年頃)全国征伐し茨城県以西を間接付属王国支配。
②隋書俀国伝に、『又竹斯国に至り、又東して秦王国に至る。―竹斯国より以東は、皆な俀に附庸す。』
③東へ倭に付属「秦王国」を訪れているのに、『書紀』には記載が無い。たぶん「日本国」へ書きかえた。
④九州王朝「倭国」が緊迫のアジア情勢から難波副都建設し天下立評。同時に倭国の分王家が常駐開始。
⑤倭国と秦王国からの遣使団が唐朝内で鉢合せ、付属秦王国の遣使を難詰し喧嘩。唐朝が両国使監禁。
⑥洲柔・白村江敗戦662年で唐が白鳳倭王を拘束・連行。これをネタに大宰府開城、筑紫島が被占領。
⑦白村江敗戦を知った難波副都守備隊が長門以東を防衛。天智天皇遷都即位、秦国接収、日本国独立。
⑧白鳳倭王薩夜麻が解放帰国。難波副都の大海人皇子の協力で倭国再統合戦の壬申乱を戦勝、復位。
⑨壬申乱戦勝は難波副都の大海人皇子の協力甚大「真人」位賜る。白鳳王崩御后、朱雀王に即位。
⑩筑紫倭王家の近畿遷都、白鳳王・朱雀王崩御后、高市天皇即位。大化改新に不満の軽皇太子が暗殺。
⑪難波副都の軽皇太子、筑紫倭王家の高市天皇暗殺后、文武天皇に即位。大和朝廷「日本国」開闢。
《注意》評制施行の天下立評そのものは、『常色の宗教改革(I「評」制は「誰」が「何時」施行したか):正木裕著』で言う、己酉(六四九大化五《九》常色三)であるが、時代区分としての灘波副都の完成年次の白雉元年652年とした。
と考えるようになったわけは、古事記になくて日本書紀に記載の 〔
『何故国内的には「日本書紀」が九州王朝「倭国」を抹殺したのか、 対外的には、大和朝廷「日本国」がどういう経緯で忽然と極東アジアに現れたのか』上記の「仮説」が明らかにするだろう。
開元(713-741)の初、(日本国)また使を遣わして来朝す。因って儒士に経を授けられんことを請う。
然し、その割に中国及び半島の史書・外交記事と「日本書紀」とに、齟齬が多いのはどうしたわけだろう。大和朝廷はこの史書の類をどう生かしたのだろうか、いやはや。
爾来1,300年の改竄・隠蔽の意図はどこにあったのだろう。
倭国と日本国とは別々の国だと唐国に印象付け、過酷な 『戦後賠償』 を免れるためだったとしたら、その徹底ぶりたるやすごいではないか!
思うに旧唐書の 『日本国は倭国の別種なり〔=倭国から別(わか)れた国〕、…或いは言う、日本はもと小国、倭国の地を併せたり、…或いは言う、尊大ぶって事実〔=倭国から別(わか)れた国であること〕を伝えない』 とは、言い換えると、
『倭国と日本国とは、民族的には同じ倭族ですが、全くの別国です。
折りも折り、粟田真人が日本国の承認を求めた則天武后は、唐の国号を周に改めた一瞬の好機、宴に招かれたりしたのは周の則天武后にとっても好機だったのでしょう。
だが、その効果のほどたるや情けなく、遣唐使の派遣が続きます。
なお、この『文武王朝』は弱体
(「新羅文武王」の王名踏襲より新羅・唐のかいらい政権?) で、更に100年後、百済遺民による京都の 『桓武王朝』 へと引き継がれることとなります、現王朝・天皇家のはじまりです。
とはいうものの、これも事実とは違うようで、知る人ぞ知る、この「桓武王朝」も 『足利義満による北朝の簒奪』 により「断絶」し、足利将軍・足利天皇朝廷(皇室)の 『足利王朝』 となります。
その後の『足利王朝』は、『明治維新の南朝革命』 まで続きます。
ちなみに、新羅出身者が源氏を、百済出身者が平家をのちに名乗ったものでしょう。面白いことに韓国・半島では、いまも慶州出身者と公州出身者が反目しあってるとか・・・・。
『万世一系の皇統譜』
『エチオピア王朝はシバの女王とソロモンの子孫といわれ』
神武天皇・天武天皇・文武天皇・聖武天皇・桓武天皇 の「 □ 武 」は王統初代を表わすと言われている。
それなりの分けがあったのでしょう。「王統初代」はどうして発生するかを考えれば、実に簡単でしょう、暗殺・内乱・戦争等の武力による前王朝の討伐・転覆・クーデターでしょう。
ただこの方法だと、国家転覆したクーデターの下手人達(その子孫も含め)もいずれ・いつかは、逆の被害に遇うということでしょうから、おおっぴらに自慢するわけにも行かず「毘曇の乱」に事寄せて「大化革新」「乙巳の変」をでっち上げたということでしょうか。
今の・現代の我々は「選挙制度」という方法を知っている。先日の自民党から民主党への政権交代も、昔だったら「武力革命」だったかもしれません。
思うに 『万世一系の皇統譜』 とは、累代の天皇が同じ血脈ということでなく、「日本(倭)民族の歴史的継続性の象徴」だったのでしょうね。
逆にこのことは、日本国民へ古代からの王朝の交代が、暗殺・内乱・戦争等の武力による討伐・クーデター・転覆の歴史だったと真実の歴史を教えず、「くさい物にふた」の『万世一系の皇統譜』で隠す結果になっていないでしょうか。
「武力革命」を防ぐには「選挙制度」による「民主主義」教育が非常に大切です。
『今の歴史教育は間違っている』と考えます。
そもそも九州王朝「倭国」が在ったか・無かったかが問題ではない。
九州王朝「倭国」が在ったことはとっくの昔に周辺国が認めていることなのだ。
では逆に大和朝廷「日本国」は在ったかというと、
「三國史記・卷第六・新羅本紀第六・文武王・上・(原文)」文武王10年670天智9年「十二月・土星入月・倭國更號日本・自言近日所出以爲名」
〔三国史記新羅本紀文武王10年670天智9年に「倭国更えて日本と号す。自ら言う日出づる所に近しと以って名と為す。」〕
文中に、『倭国更えて日本と号す』とあるではないか。この文意は改めて言うまでもなかろうが、670年:天智9年までは「倭国」だったが、これ以降は「日本国」と号するというものだ。
問題はその時の『倭国』とは何者か?だが、
〔667年天智6年3月19日、長門以東の本州・四国を支配する「プロト大和・近江朝(=難波副都倭弟王家)」が倭国から実質的に分離独立。
の「プロト大和・近江朝(=難波副都倭弟王家)」だろう。
671年天智10年12月3日、「プロト大和・近江朝(=難波副都倭弟王家)」の天智天皇が近江宮で崩じた。
「プロト大和・近江朝(=難波副都倭弟王家)」が「倭国」から分離独立することを、唐国は認めるわけに行かなかったのだろう。
壬申乱戦勝で唐から独立を認められた筑紫大宰府本家兄王家「倭国」であるが、その後も唐の過酷な戦後賠償・筑紫大地震とでさらに疲弊してゆく。
その後「プロト大和・天武朝(=難波副都倭分家弟王家)」が、「倭国」の高市天皇を「プロト大化改新696年」で暗殺し倭国を乗っ取る。
日本の古代史云々を語る者は、何はさて置き、『何故国内的には「日本書紀」が九州王朝「倭国」を抹殺したのか。
古田武彦氏が主張する王朝多元史観はすごく大事です。
もちろん、この「王朝多元史観」は、列島・半島南部の村落が離合集散し部族国家を形成し、倭の五王に統合される過程から、倭国の九州(筑紫島)を本拠に・出雲・加賀・吉備・『秦国』・尾張・毛野(常陸)・任那等を含む連邦国家形成。更には、倭国の「天下立評」、「廃評建郡」の大和朝廷「日本国」成立、までの歴史観だと言えます。
これが天下立評で各附庸王国が律令制の官僚組織の中に組み込まれ、中央集権制の一官衙になった時、各附庸王国の出雲・加賀・吉備・『秦国』・尾張・毛野(常陸)は実質的に解体しました。
私は、倭国の連邦制から、日本国の中央集権制への移行がどういう過程・経緯でなされたか。を明かにすることが、
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